「この辺りで射命丸さまに会えると思います」
「ほう、【千里眼】の力かね?」
「そのようなものです。後少しでここを通るはずです」
山の中腹、木々の少ない岩場に降り立った哨戒天狗とダウザー。
実は椛と文は毎日この時間にこの場所で待ち合わせている。
互いに用事があれば仕方ないが、何もなければここで寸暇の逢瀬を楽しむことにしている。
椛の任務時間は割と固定されているし、文は幻想郷のどこにいても数瞬で駆けつけられるから逢瀬のかなう確率はかなり高かった。
今回はたまたまその時間が近かった。
厄神さまと話をするのは椛一人。
見知らぬ妖怪が側にいては会話も鈍るだろうとの、ナズーリンの提案だが、元より椛はそのつもりだった。
「それなら、射命丸どのが来るまでオヤツにしよう、さあ、どうぞ」
濡れていない岩の上で包みを解く。
ぼた餅が六つ。
一つを口にした白狼が仰天する。
「このぼた餅、美味しいです! これまで食べた中で一番美味しいです!」
もっしゃ、もっしゃ、もしゃもしゃしゃ、むぐむぐと咀嚼する速度が上がっていく。
「それは良かった、私は一つで十分だから残りは全部召し上がれ」
「むぐっ! むぐぐう!?」(いいんですか!?)
無邪気な驚きの笑顔、なんとも愛嬌がある。
(ははは、これは誰でもヤラれるな、とても可愛いじゃないか)
いつの間にか射命丸文が降り立っていた。
ナズーリンに一瞬だけ不審気な視線を向けたが、記者モードで対応を始めた。
「ナズーリンデスク、お久しぶりですね。
本日は山にどんなご用ですか?」
誰に対しても物怖じしない文ではあるが、このナズーリンは微妙な相手だった。
以前、姫海棠はたてと新聞のランキング入りを競ったが、ナズーリンの指導によってその才能を開花させた彼女に敗退した。
その後、このネズミ妖怪の指導の元、はたてと共同で作った新聞は大変な反響を呼んだ。
記者としての自分の特性と可能性を掘り起こされ、叱咤され、容赦なく錬成された。
正直苦しかったが。あの時の経験によって間違いなく記者レベルが上がった。
いつかは見返したいが、感謝もしたい、借りも返したい相手。
意地っ張りの文にとって、複雑な思いのある難しい相手だった。
「椛どのに呼ばれてね、ちょいとした野暮用なんだ、気にしないで欲しいんだがね」
「ふーん、その野暮用ってのがとっても気になりますねぇ」
お互い牽制しようとしていたところに無邪気な声が割って入った。
「あや、射命丸さま! このぼた餅、とても美味しいです! どうぞお一つ!」
椛が嬉しそうにぼた餅の包みを差し出してきた。
その勢いに毒気を抜かれた射命丸がやれやれと白狼天狗を見た。
「もう、椛ったら。
あら、口の周りに餡コがついているじゃない。
アナタはしっかりしているようで、ところどころ抜けているのよね。
放っておけないんだから、まったく……」
ハンカチで椛の口を拭ってやる。
椛も目を閉じ、文にされるがまま。
ごしごし…… じいぃぃー
ナズーリンの視線に気付いた文が慌てて身体を離した。
「お構いなく。どうぞ続けてくれたまえ」
続けられるわけもない。
「事情があって、厄神さまに会いたいのですが、私では厄に耐えきれません。
射命丸さま、なんとかならないでしょうか?」
少しだけ気まずかった場の空気を、椛の凛とした声がかき混ぜた。
文も通常モードに戻った。
「ふーん。厄神さま、鍵山雛さんですね?
天狗同士のよしみです、力添えいたしましょうか」
あくまで二人の仲は秘密のつもりなので【天狗同士】を強調する。
文は詳しく問わない。
きっと後で椛が説明してくれるから。
だから最信の片翼の願いをかなえることに力を傾ける。
文が羽団扇を軽く振ると、椛の周りを風が通り抜けた。
その風が【ぐいっ】【きゅるっ】と戻ってきた。
その風はひゅるひゅるとたくさんの小さな渦巻きとなって椛の体にまとわりつく。
白狼は賑やかな風のガウンを羽織らせてもらった。
「その風がアナタを【厄】から守るわ。
日が落ちるまでは保つでしょう」
高位の鴉天狗であり、風を操る能力を有する射命丸文ならではの具現。
ナズーリンは心底感心していた。
(これは見事なものだ、単に大きな力を放出するのではなく、必要な力をコンパクトにまとめ、しかも持続させるている。
繊細で複雑な制御を瞬時にやってのけるとはスゴいな。
射命丸文、思っていたより上級の力の持ち主だ、やはり侮れない)
「文さま! スゴいです! 素敵です! あーちょっとくすぐったいですけど」
興奮のあまり『射命丸さま』と呼び損なったが気づきもしない。
まとった風のガウンの具合を確かめるように、くるりと回って見せる。
あら可愛い。
文は珍しく無邪気な椛の様子に目を細めていた。
なんだかいつも白狼天狗に主導権を握られている気がするので軽口が出てしまう。
「厄神さまにどんな御用か知らないけど、浮気はダメよ?」
ふふん。
余裕たっぷりに笑って見せる。
「浮気? ……ですか?」
文に向き直り、ぴくっと眉を上げた椛。
その顔を見てはっとする文。
しまった、調子に乗って余計なことを言ってしまった。
無表情になった椛が自分を正面から見据えている。
「浮気なんてありえませんよ。私は文さまにすべてを捧げたんですよ?
文さまの魔性の虜なんですから」
いたって真面目にモノスゴいことを言い放った。
「ちょっとぉ! 魔性の虜ってなによ! ヒト聞きが悪すぎるじゃない!」
そうは言いながらも、もはや第三者の存在を失念している天狗ラバーズ。
「私、文さまのしなやかで滑らかな肢体を隅々まで味わってしまったのです。
そして、とても感じやすくて被虐嗜好が旺盛な文さまの本性を知ってしまったのです。
そんな貴方に夢中になっています」
「あの、もっ、も、椛? ちょっと?」
「『ダメヨダメヨ、ヤメテヤメテ、ユルシテユルシテ、ナンデモシマスナンデモシマス』
懇願する時の文さまは素晴らしく愛らしいんです」
「あの、あの、あの、あの」
目を真ん丸くして赤面している文、余裕はとうに吹き飛ばされている。
「強くて賢いのに、弱くて可愛い文さま、素敵過ぎます。
私はもう、他のモノでは満足できません、できるはずがありません。
犬走椛は、もはや射命丸文さま無しでは生きてはいけません。
これが虜ということですよね?」
真剣な眼差しに怯んでしまう最速の鴉天狗。
「あの、あの、あの、あの」
「お疑いなら、幻想郷の中心で愛を叫んでも良いのですが……」
そう言って、にいっと口の端をつり上げる。
「お、お願いだからそれはヤメてー!!」
椛の眉が再び、ぴくっと上がる。
その表情は難色、あるいは不満を伝えていた。
「……お願い? 文さま……【お願い】の仕方は教えたはずですよね? どうするんでしたっけ?」
椛が決めた【お願い・おねだり】するときのかなり恥ずかしいルール。
ここで解説するのはちょっとマズい。
「あ、あの、でも、でも……」
文はスカートをいじりながら、キョロキョロ、もじもじ。
そこでようやくネズミ妖怪が視界に入った。
「あの、あの、ヒト前であの格好はちょっとぉ……」
白狼天狗も第三者を思い出した。
「ん? 左様ですね、うっかりしていました。
保留といたしましょう、夜で結構です」
だが、妙にテンションが上がってしまった椛は止まらなかった。
「今夜はお礼も兼ねてシチュエーションプレイをセッティングいたしましょう」
ふっと優しい表情になった椛、少し安心した文がたずねる。
「シチュエーションプレイ?」
「≪わがままでちょっと意地悪な【文お嬢様】に仕える召使いの純朴な少年【モミジ】≫でいきましょうか。
今宵、一緒に入浴することを強要され、目隠しをし、真っ赤になりながら、おずおずと憧れの【文お嬢様】の体を洗う初心な少年【モミジ】。
しかし【文お嬢様】は執拗に際どい誘惑を仕掛けてきます。
そして【モミジ】はとうとう我慢できずに暴走してしまいます。
『モミジ! なにをするの!? この無礼者!』
『あ、文お嬢様がいけないんです!!』
『だ、だめよ! キスはだめよ! そ、そこ、そんなに強く掴んじゃだめぇ!』
『文お嬢様をメチャクチャにしたいんです!』
……こんな流れでいかがでしょう?」
目線が右上方へ固定されたままの射命丸文がしばらくして返事をした。
「あの、その、う、うん、それでいいと思うわ……」
「それではナズーリンさん、私は行って参ります、後ほどお寺にうかがいますので。
文さま、ありがとうございました」
飛び立っていく白狼天狗を見上げている伝統の幻想ブン屋。
胸を押さえ、腿をこすり合わせながらなにやら呟いている。
「射命丸どの、射命丸どのっ!」
ナズーリンが話しかけるが反応がない。
「んーと……文お嬢様?」
ビックーーンッ!
一尺ほど飛び上がった鴉天狗。
「!? い、いまのは、あの、ちょっと違う話なの、そう、じょ、冗談なのよ!」
「射命丸どの、なにやら複雑な事情がお有りのようだが、聞かなかったことにするよ。
なにせ、個人の嗜好に関することだ、面白おかしく振れ回って良いものではないからね」
真面目くさって話しかけてくるネズミ妖怪を見た文は、今更ながらことの重大さに気づいた。
最も注意しなければならない相手の前でトンでもない痴態を晒してしまった。
なぜ存在を忘れていたのか、気配を感じられなかったのか、迂闊にもほどがある。
「まぁ、色々と参考になったので礼を言おう。
ところで、折り入って頼みがあるのだが、聞いてくれるだろうか?」
断れるはずがなかった。
鍵山雛は無縁塚の入り口辺りでくるくる回っていた。
雨はあがったが、川が澄むにはしばらく時間がかかりそうだったから。
何かが自分めがけて飛んで来ているようなので回転を止め、待ってみる。
先日永遠亭でにとりの容態を伝えてくれた白狼天狗だった。
山の妖怪は厄エリアをおよそ知っているのでその手前で止まるのが常だった。
だが、白髪の天狗はエリアに入ってもさらに近づいてくる。
「と、止まってください!!! 危険です!」
「厄神さま、私は哨戒天狗の犬走椛と申します。
お話ししたいことがございます」